プラトンの洞窟

 このはてなダイアリーの題名にもなっている"プラトンの洞窟"。僕はこの話がすごく好きなんです。この話はプラトンが弟子であるアリストテレスに対して、"哲学とは何か?"ということを教えるための寓話です。

ストーリー
 ”ある洞窟に、生まれてこの方ずっと洞窟の奥に人間たちがいる。その人間たちは十字架に磔*1にされていて、洞窟の奥しか見えない。奥は壁で、洞窟の入り口から来る光によって、彼らの影が見えた。彼らは横を向くこともできず、影だけが見えるのだ。つまり、彼らにとって人間とは影なのだった。しかも、彼らの声は洞窟の奥の壁に反射して聞こえるので余計にそう思えるのだ。彼らは神によって、後ろから食べ物を与えられ、言葉を知っている。彼らはお互いに話し合う、影を友人と思いながら。

 そんな中、一人の人間が磔から解放される。彼は磔から逃れ、洞窟の入り口へと向かう。洞窟の入り口からは光があふれ、真っ白に見える。彼は目をまともに開けられず、ほとんど目をつぶった状態で洞窟を出る。そんな彼もだんだんと目が慣れてくる。とても上を向くことはできず、そっと下を向いたまま、目を開けてみる。すると地面が見える。しかし、次の瞬間、彼にとって人生最大の驚異が待っていた。草である。たかが草になぜそんなに驚くのか?それは緑"色"だからである。彼にとって、今まで見てきたものは洞窟の壁の茶色だけである。自分も他の人間もすべては茶色に写った"影"だけであり、モノトーンの世界だったのだ。彼にとって世界とは、セピアの世界ともいえるかも知れない。そんな彼の目に、鮮やかな緑が強烈に映る。そこで彼は"色"を知るのだ。彼は驚く、こんなに綺麗に目に写るものがあるのかと。

そして彼はさらに歩く。草むらを歩くと次に写るものは花だった。またしても彼は驚く、鮮やかな緑に感動した次は、赤や青や黄色といった生き生きとした色たちだった。こんなに美しいものがあったとは、彼はそれらを"赤"や"青"や"黄色"と呼ぶことすら知らない。いや、言葉は知っているのだ、しかし、"赤"という言葉が、この花の色ということがわからないのだ。彼はめまいがしてくる。あまりにも世界が変りすぎたのだ。そして、彼はよろめきながらも歩き続ける。

 歩き続けていると、彼は川に辿り着ついた。そして、今までは口に直接入れられていた水が大量に流れるのを見る。彼はその水を飲もうと屈む。そのとき更なる驚きが待っている。"自分の顔が見えた"のだ!今まで自分を影だと信じて疑うことすらしなかった彼が、今本当の自分の顔を見ているのである。自分はセピアの壁だと思っていたが、今自分の見ているものには、くぼみや出っ張りが、そして"色"ある。自分とはこういう存在だったのかと、今まで自分すら知らなかったのかと彼は驚愕するのだ。

 そうして、時間が経つにつれ彼はいろいろなものを見る。木を見て、洞窟にいたころとは桁外れの大きさのものがあることを知る。動く大型の動物を見る。色鮮やかな虫を、川の先にある池や海を、そして夜がやってくると、上を向くことができた、そして幻想的な月や星を見た。そうして自分の想像すらしていなかった世界を見続け、彼の目が慣れてきた。そして、朝がやってきて、光に慣れた彼が最後に見たもの…

 それは太陽だった。"

 そしてプラトンは、アリストテレスにこういいます。"この磔にされていた人は、私たちだと。私たちは何も知らなさすぎる。私たちは、その洞窟を抜け出して太陽を見なければならない。太陽というものは真実なのだ。そして、太陽を見ようをもがき、考えることを"哲学する"というのだ、と。人間は哲学することによって真実を知るのだと、アリストテレスに哲学の重要性を教えたのでした。

 さて、これが"プラトンの洞窟"と呼ばれる寓話です。しかし、この寓話は哲学の重要性を語るだけでなく、ここから複数の派生した別の意味の物語があります。そして、私が好きなのはその派生したほうなのです。文が長くなってしまったので、また今度書きます。でわ。


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*1:はりつけね!もちろんキリストとかは関係ない