「楢山節考」 1983年

楢山節考 [DVD]

楢山節考 [DVD]

 俺の生まれた年の映画である。見た感じだともっと古そうではあるが。同年のカンヌ映画祭パルムドールを受賞した名作で。実は5年も前から観たかった映画だった。
 この映画は姥捨山という、年老いた親を雪山に捨てる行為から、人間の生死をテーマとして描いている映画である。東北の貧しい農村に暮らす農民にとって、雪で経済活動が出来ない冬は生き抜くだけで試練である。そのため、致し方なく親を山へ捨てていくのだ。
 ところが、実際は(映画の中では、かもしれないが)、むしろ捨てられる親の方が家族を想い、自ら"山へ行く"というのだ。病気やらで家で死ぬのは恥、自分の親も山で死んだ。山で死ねばみんなに会えると志願するのだ。
 そんな厳しく貧しい農村で暮らす農民を冷静に、リアルに描ききったのが本作である。確かに名作だ。ラストシーンに圧倒される。そして尾形拳の名演技!見所はたくさんあります。

 あらすじ
 辰平(尾形拳)は貧しい農村で一家を支える大黒柱である。もうすぐ70を迎えるが歯も頑丈すぎて、からかわれる母親と、女と遊んでばかりいる長男のけさ吉、厩で馬の面倒を見ているせいでひどいニオイがしてバカにされている利助、そして幼い長女と赤ん坊。
 この村は東北の厳しい気候のため、生きていくのでやっとである。人の食料を盗んだものなら、すべての財産を奪われる。それが冬の前だった日には、とても生きていくことが出来ない。
 そんな中、辰平の母親は"今年、山へ行こうと思う"と突然言い出した。そして頑丈な歯を自ら折り、自らを弱まらせようとする。一方、けさ吉は嫁を連れてきて新たな"口(食べ口)"を連れてき、利吉は未亡人に誘われるのを待ちぼうけし…

 <ここからネタバレの可能性あり!!>
 この映画はなんと言っても、最後のシーンである。でも、それまでのシーンがあってのこと。農民はしぶとい。生き生きと生きている。恥だろうが、なんだろうが生きるが勝ち、楽しむが勝ちを地でいっている。人のものを盗んでも生きる。嫁が死ねば新たな嫁を迎える。情けなかろうとやれる女とはやるのだ。生き抜くことは醜い。でも生き抜くことが大事なのだということが画面から臭いほど伝わってくる。だからこそ、おりんの死が尊く見えるのだ。
 おりんは自ら山に向かった。一言も口を利かずに。直前まで元気だったのに、山を登っていくたびに一気に生気を失っていき、まるで死に化粧をしているかのような顔になっていく。死に向かう人間はこうなるのだろうか…
 山を登るときの辰平の言葉が忘れられない。"おとぅを殺して、おかぁを殺すのか"、"25年もすれば俺もけさ吉に運ばれ、もう25年すればけさ吉もその子供に捨てられるのか"、"この山で何百人、いや、何千人が死んだのか…"。
 最後のお別れのシーン。辰平は絶えられず泣き出し、おりんにしがみつく。しかし、おりんは毅然とした態度で、帰るように促す。その帰り、衝撃のシーンを観てしまう。てっきり、山へ向かう老人はおりんのようかと思っていると、そうではないことがわかる。山へ本当に"捨てられ"に来る老人もいる。しかも、残り少しで先祖たちの骨までたどりつくのに、谷に突き落とされてしまうのだ。あまりに悲しいシーンではないか。でもそれも仕方のないこと。辰平はある意味幸せであり、おりんもそうなる前に自ら志願したのだろうと思う。そしてその直後に雪が降る。雪が降れば、飢えに苦しむこともなく楽に死ぬことが出来るのだ。でも心配だからついに辰平は戻ってしまう。心配要らないというおりんのメッセージに対して、"雪が降ってよかったなぁ"というのが精一杯だったのだ。この最後のシーンでの尾形拳の演技はすばらしい!本当に悲しいシーンである。
 辰平は家に戻り、けさ吉の新しい嫁のおなかや、嫁のおなかを見つめ、"あぁ、けさ吉もこのおなかの子に殺されるのか、俺を運ぶのはけさ吉だろうか、それとも嫁のおなかに宿った子なのだろうか"と思うのだった。新しい死とともに新しい生が産まれた。