「コインロッカー・ベイビーズ」 1980年

コインロッカー・ベイビーズ(上) (講談社文庫)

コインロッカー・ベイビーズ(上) (講談社文庫)

 村上龍の傑作である。これは疑いようが無い。かじりつくように読んで、その衝撃的な展開に悶絶して、また次を読みたくなる。
 キクとハシという、産まれた直後にコインロッカーに捨てられた兄弟と、アネモネという美少女の話。俺はこれを読んでいて、「罪と罰〈上〉 (岩波文庫)」を思い浮かべた、キクがラスコーリニコフアネモネがソーニャな感じ。そしてサスペンスを抜いたら、コインロッカー・ベイビーズに近づく気がする。でも「コインロッカー・ベイビーズ」は一言で言い表せない小説だな。薬島のくだりはSFすら感じられる。ジャンルなんて意味はないが、本当に言い表しようが無い小説だ。
 「コインロッカー・ベイビーズ」という題名からすると、てっきり社会派の物語かと思うが、まーったく違う。下にあらすじを書くことは書くが、その次の一行からあられもない展開が待っていて、まったく違う物語になってしまう。たとえて言うと、物理の授業を受けた後に、体育の授業で「右足が水面に沈む前に、左足を突き出し、それを交互にやれば水面を歩ける」と言われて必死に試す感じ。現実と夢がごっちゃになる。是非とも読んで確認して欲しい。
 それでは、ダチュラ

 あらすじ
 コインロッカーに捨てられた2人の赤ん坊。2人は同じ孤児院に預けられ、名前表の順番通りにキクとハシと名付けられる。当時、コインロッカーに13人ほど捨てられる事件が発生したが、キクはその有り余るエネルギーで泣き叫ぶことで生き残り、ハシはその虚弱さゆえに薬品のにおいを犬がかぎつけ生き残る。残りは全員死んだ。
 二人はある程度育った頃、変調をきたす。ハシは自らに引きこもり、おもちゃで自分の王国を作り出し続ける。キクは有り余るエネルギーをもてあまし、常に動き続けなければならない恐怖に駆られる。2人は精神科に連れて行かれ、不思議な音を聞く治療を受けて治る。
 小学校に上がる少し前、とある寂れた島に住む夫婦に引き取られ、2人は成長していく。やがて、キクは棒高跳びで全国大会にでるまでになるが、その決勝戦の直後ハシは行方をくらませる。あわてる夫婦。しかしキクは知っている。ハシは本当の母親を探しにいったんだ。

 <ここからネタバレの可能性あり!!>
 この本は本当に「限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)」を書いた村上龍なのだろうか?いや、確かに暴力とセックスにまみれたアングラな文章である。確かに文章はそうなのだが、「限りなく〜」はリュウという主人公の一人称で語られてはいるが、限りなく三人称に近いというか、リュウなんて人間は存在していない。神視点から語られているかのような扱いだ。リュウは受動的で、自分を持っていない。本人も語るように何もしたくないのだ。一方、「コインロッカー〜」は三人称にもかかわらず、まるで一人称のように感じさせる。キクとハシはエネルギーに満ち溢れている。あふれすぎて二人とも暴発してしまう。個性が強すぎる。
 受動的か能動的かは、さておき、本当にリュウは語られていないのだ。「限りなく〜」はリュウの周りの人間がいるからリュウは存在している。いや、存在できている。極端な話、リュウはいなくても物語が成立している。リュウの周りの人間の出来事を、読者の代わりに近くで覗き見しているような感覚なのだ。その一方で、「コインロッカー〜」はキクとハシ(そしてアネモネ)だけで成立する。周りはキクとハシの反動で産まれたかのような感覚を覚える。同じ作家の別の作品で主人公の性格が違うことは普通だが、なんだろう、こんなに語り方が違うってことがあるのだろうか。
 とはいえ、出てくるキャラクターたちはいい味を出している。個人的には和代が大好きだ。めちゃくちゃに人間臭い。こんなに"普通"の人間を描けるのもある意味凄い。村上龍の本の中では際立って"普通"だ。でも和代の母性本能に心を打たれた。なんか本当に母親なのだ。気が小さくて、でも本当にキクとハシを愛していて、いてもいられなくなって東京に出て。でもなれない土地だから躓いて。なんか本当に母親なのだ。だから和代の死は読んでる俺も辛かった。
 この話は、キクが母親を殺してしまうところから、一気に村上龍の毒気があふれてくる。そのシークエンスまでに少しずつ、少しずつ毒を仕込んでいくのだが、いきなりぶっとい注射器でガチコンとぶっさされる!キクとハシはもちろん両親は違うが、同じ子宮から産まれた双子なのだ。だからか、双子に特有のシンメトリー性がある。ただし、アシンメトリーなのだ。キクは強い、ハシは弱い。キクは壁を作って自分を貫き、ハシは外交的だが、もう一人の自分を作り出し、それを壁にし、自分を逃げさせる。キクが絶頂のとき、ハシは不調。ハシが絶頂を迎える瞬間、キクは不調を迎える。キクは若い女と結ばれ、ハシは年増と結ばれる。キクが閉じ込められたとき、ハシはすべての自由を手に入れる。そうやって、この話はキクとハシの対比によって描かれている。しかし、最後にキクは、直接は会ってはいないが、ハシを物理的にも精神的にも開放し、結ばれる。血と体液と麻薬(今回は麻薬としてではないが)に相変わらずまみれた文章で、ローションでいっぱいの水槽に使っているような感覚を覚えるが、何かすがすがしいものを感じた。
 本当に傑作ではないだろうか。