「五分後の世界」 1994年

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

 昨年前半に村上龍にはまりまくっていたが、結局また村上龍に戻って来てしまった。どんなけ読めば気が済むのかわからない。なぜなら村上龍のその守備範囲の広さ、というかなんでもかけるその実力ゆえに読んでいて飽きないからだ。
 本作は、"もし第二次世界大戦で日本が降伏せず、ゲリラ化していたら、1990年代の日本はどうなっていたか"という話である。もし日本が第二次世界大戦時に無条件克服をせず、日本が日本であるために厳しい生存戦争に望んでいたら、日本人のアイデンティティはどうなっていたかをテーマにしている。アンダーグラウンド化した日本人を見せることによって、逆に事実上アメリカの属国の様な存在になっている現代日本人への痛烈な批判が込められている。
 あまりにも生々しい描写で、絶対に映像化できないだろう。何せ捥げる、砕け散る、飛び出る、焼けただれるのオンパレードだからだ。しかも、その描写が本作の最も重要な要素となっているので、ここの表現をマイルドにするわけにも行かない。
 本作は、村上龍本人が最高傑作と呼ぶ作品である。もっとも、俺は「コインロッカー・ベイビーズ(上) (講談社文庫)」の方が面白かったと思いますけどねー。その次は「エクスタシー (集英社文庫)」だし、まぁその次が本作かなぁ。エクスタシーは評価が分かれるところかと思うけど。

 あらすじ
 小田桐はふと気がつくと、森の中で歩いていた。なぜ今森にいるのか、ひたすら列に並んで歩いているのか、さっぱりわからない。得体の知れぬ緊張感を背後から感じたと思ったら、どうやら兵士の様な人間に監視されているようだ。
 森の中を歩かされた結果、地下のトンネルに辿り着いたところに数百名が集められ、入国審査の様なブースで尋問を受けている。よくよく見ると、周りにいる人間は純粋な日本人ではない。名前からして、ヤマダ・ノブオ・メンデオみたいにいかにもハーフっぽいし、見た目も混血である。いよいよ小田桐の順番がやってきた。「書類はないのか?」といわれ、運転免許証を見せると、「なんだ?この書類は?」と通じない、住所を言っても、「戦前にはあった地名だな」…戦前だって?いったいここはどこだ?
 面接官は小田桐の時計を観て言った、「時計が5分遅れているぞ」

 <ここからネタバレの可能性あり!!>
 その後の、トンネル修復現場での戦闘シーンで、いきなり読者の心をかき乱す!あまりに長い描写で、人が銃器によって死に行くさまをカタログのように並べ立てていく。いきなりそんな場面に落とされる中で、闇雲に戦い続けたにもかかわらず、兵士に処刑されかける。
 しかし、明らかに日本人ぽい風貌と、これまでにも何人か同じ不思議な証言をしていることから、日本人の幹部に会うことになる。待たされている間に渡された歴史の教科書により、驚愕の事実を知ることになる。それは第二次世界大戦は未だ継続しており、日本はゲリラ化して徹底抗戦中であるということだった。
 ここで登場する日本人達は今の日本人とは明らかに違っている。しかしまた、小田桐の時代でいう第二次世界大戦時代の日本人でもない。この世界の日本人は、徹底的に合理化され、日本人であることに誇りと自覚をもち、忍耐を備えている。だから、無駄な装飾や虚礼はなく、目上だから目下だからという遠慮はない。それは無駄だからだ。そして今の日本の窮状をそれぞれが認識しており、全国民が挽回するために力一杯生きている。それは軍部の兵士としてだけではなく、重火器やエレクトロニクスといった研究分野であったり、ピアノのような芸術分野であったり、それぞれ個々人が日本という国にどう貢献できるかを考えている。それはまるで「一個人の独立なくして、一国の独立なし」と説いた福沢諭吉の言葉と、その明治時代到来当初を思い出させる。そう、日本は最も日本が輝いていた明治時代の精神に戻っていたのだ。
 だから、小田桐は女性を見ても、今の日本人のようにやたらと着飾って、ブランドに埋め尽くされているのではなく、昔の名画を見ているような巣の女性を感じるのだ。巣の女性だからこそ、セクシーさが目立つというのはわかる気がする。
 物語はほとんどが戦闘シーンだ。その他のストーリーにほとんど紙面を割いていない。ワカマツのシーンや地下での会話は、今の日本の状況を端的に説明するにすぎない。でも戦闘シーンだけなのに、なぜかストーリーがぎゅっと詰まっているのが不思議だ。これが村上龍の力なのだろうか。
 しかし、あの最後には驚いた。「えーっ!!!!」っである(笑)どうにかなるのかと思ってたんだけど、どうにもならんまま終わってしまった…少なくとも、あっちの世界で生き延びて、日本のために生きて抜いて行こうとしたことはわかったが、果たして生き残れたものか。でもあっちの世界で生き抜こうとした小田桐の心境はわからなくもない。どうせ元の世界に戻っても、たいした幸福が待っているわけでもない。生きている実感もなく、ただ怠惰な中で生きて行くなら、あっちの世界で必死に生き抜いていくことに意味を見いだしても不思議ではないと思った。しかし、もうちょっと明確に終わってほしかったよー。