「エクスタシー」を読んで

エクスタシー (集英社文庫)

エクスタシー (集英社文庫)

 またもや村上龍である。かつてこんなにはまった作家がいただろうか。小学生のころに宗田治にはまった以来だろうか。それからすれば俺も大人になったもんだ(笑)
 エクスタシーといえばMDMA。そしてこの小説におけるエクスタシーも直接的に言えばMDMAのエクスタシーであるが、村上龍だからエロスとしてのエクスタシーも含んでいるのだ。
 最初に読んでいるときは、バタイユを彷彿させるが、もちろんバタイユ的エロスを包含しつつも、村上龍独自の世界観もしっかりと、そしてべっとりとくっつけている。むしろ日本人的な雰囲気的エロスを含んでいる分、余計にエロスを感じる。これは欧米のホラーと日本のホラーの違いほど違う。
 しかも、最後のページ!「えっ?えぇぇぇっぇぇーーー!???」である。こんなどんでん返しってあるのか!?もう頭の中がぐっちゃぐちゃ。もう俺の心は鷲掴み。カタオカケイコばりに村上龍が俺を支配する。
 こんなことを言うのもなんだが、前半は正直勃起しっぱなしだった。そして後半は完全にストーリーに飲み込まれつつもやっぱり勃起してた(笑)さらにいうと、電車の中で読むのが本当に恥ずかしくて、それがまたこの本にぴったりなのだ(笑)

 あらすじ
 「ゴッホがなぜ自分の耳を切ったか、わかるかい?」
 ニューヨークで突然ミヤシタは、ホームレスに日本語で話しかけられる。そしてそのホームレスは言う、「俺のことを今から言う番号に書ければお金が手に入る」。それは悪魔のささやきだった。
 言われたとおりに電話をかけると女が出た。そして話の果てに、エクスタシーという麻薬を手に入れ、とある女とセックスをする。それはまさに悪魔のささやき。ありえない快感に見舞われる。
 そして電話の声の主、カタオカケイコに会うと、一気に自分の奥底のマゾヒズムが沸き起こり…

 <ここからネタバレの可能性あり!!>
 エロスの究極形ってSMなんですかね。目玉の話だってそうだし、漫画だけど月光の囁きにしてもそうだし、究極のエロスの先にはSMが待っている。しかももっともエロスを感じるのはマゾヒズムである。完全に支配しているのはサディズムだし、人はだれもだれかに支配されたいなんて思っていない。でも完全に自己を無くして支配下に置かれたときに幸福を感じてしまうのだ。本当に人間はわからない。
 しかし、最後の数行はいったい何なんだ!?「えっ?えぇぇーーーーー!??」である。ミヤシタはヤザキなのか?そんなわけはない?もっとも簡単な解は幻想である。でもそれでは面白くない。でもそれしか考えられないし…
 あー、今日は読み終わった後に酒を飲んでしまったkら整理がつかない。畜生。クソ面白いのに。

※追記
 酔っ払っていないうちに、感想を書く。
 この本では、麻薬に犯された感覚を文章で表しきっていると思ったのが、最初の衝撃だ。特にエクスタシーを初めて試したときの表現はすばらしい。句読点、特に読点がほとんどない。凡そ2ページの間、エクスタシーに酔いながらセックスをするが、そのうちの凡そ1ページの間、なんと読点がないのだ。でも文章としては連続していて、だから果てしなく読みづらい。でも読みづらいが、読んでいる側に休みを与えず、次から次へと単語を流し込んで、だんだんと理解が出来なくなっている。でもどぎつい単語・単語は頭に入ってきてイメージだけをさせる。この感覚が麻薬をやっていて半ば狂ったような状態になっている主人公と同じ状況にさせるのだ。
 この表現を見たときに、やっぱり村上龍は天才だと再確認した。ま、レビューを見ると"読みづらい"で一蹴されていたのもあったけど(笑)確かにただの独白のところは読みづらい。