Chile, Day.8

 いよいよ最終日になってしまった。遅めの朝を迎え、近くのカフェで朝御飯を食べる。

 近くのモールでワインやお菓子などのお土産を買い、帰り支度のために家に戻る。先日のバーベキューで食べきれなかったお肉を焼いてくれたので最後にテラスで食す。
 出発の時間が迫ったので空港に行き、最後に喫茶店に行く。こっちのコーヒーで、牛乳いっぱいのを頼む。

 友人にお礼を言って、飛行機にのる。

 今回の旅はこれまでの人生の中で最も遠い土地への旅だった。時差もきっかり12時間だから、本当に地球の裏にきたのだ(正確にはアルゼンチンが裏だけどね)。イースター島の手配から洗濯まで、本当に全部を友人のお世話になってしまった。本当に俺がしたのは日本⇔チリ間の航空券だけ。。。
 8日間、チリを遊び倒した。遊び倒させてもらった友人に多謝、多謝。次に日本に帰ってくる時にはなんとかして恩返しをしたいものだ。その頃には2人目のお子さんも生まれて元気になっていることだろう。まだ見ぬ2人目のお子さんに会える日を祈ってこの旅の記録を終える。

Chile, Valparaíso. Day.7


 6時までカジノにいたので、ゆっくりと寝てからチェックアウト。ホテルのすぐそばの海辺へ行く。チリの海は半端無く冷たい。冷たすぎるほど冷たいけど、サーファー達は果敢に波に乗っていた。やつらすげぇな。

 次に昨日夜景を見たバルパライソの町並みを楽しむ。バルパライソ世界遺産にも登録されている街だ。港街として昔から栄え、国会もこの町で開かれるらしい。
 この街はとにかく坂、坂、坂。車で登れるのか?ってぐらいの急坂に家が立ち並ぶ。写真を見てわかるとおりの坂道だ。どうやら上に登るほど貧困層になるようだ。でもこれまでのチリの地味めな街並みとは違い、カラフルな家並みが続いてとても楽しく、美しい。本当に世界遺産にふさわしい町並みだ。



 やはり現地の人もこの坂はきついらしく、またおそらく車が買えないのか、ものすごい数のタクシーがこの坂を登っていた。
 町並みを楽しみ、下に下ると古くからある由緒ある商業地に降りてくる。これはこれで美しい。

 その後、前日に行ったワイナリーの近くにある牧場でご飯を食べる。

 この牧場ではロデオ場があった。チリのロデオは暴れる馬を乗りこなすとかではなく、牛を放ち、2頭の馬を操って牛を追い詰めるらしい。そのため、馬は前に動くのではなく、カニのように横に動くのだ!ちょうどそのカニ走りの練習風景は見れた。すんげー違和感。

Chile, Viña del Mar Day.6


 今日は盛りだくさん。ヴィーニャ・デル・マールという街に行くのだが、途中でまずはワイナリーに行く。
 のどかな平野の真ん中にある、カサ・デル・ボスケというワイナリーに行く。見渡すかぎりのぶどう畑。


 ワイナリーのツアーに参加して、製造工程を見せてもらう。ここではソーヴィニヨン・ブランシャルドネピノ・ノワールカベルネ・ソーヴィニヨン等々、さまざまな品種を育てているようだ。見渡すかぎりのぶどう畑だが、まだまだ土地はあるらしい。でも水が足りないので、土地を余らせているらしい。
 まだできて10数年のワイナリーらしく、とても綺麗。そして設備がとても新しいっぽい。

 ステンレスの装置で醸造された後、ソーヴィニヨン・ブランをのぞくワインは樽で寝かすらしい。白で半年〜1年、赤で1年〜2年らしい。これで酸味をとったり、樽の薫りを付けるらしい。

 ひと通りの案内が終わると、いよいよ試飲コーナー!レストランに連れていってもらい、チーズとワインを飲む。想像していたのとは違って、超豪華。普通に酔っぱらえる。

 ワイナリーを後にして、ヴィーニャ・デル・マールへ。ここはバルパライソという世界遺産の街の隣にあるリゾート地だ。ここのホテルのスイートに今日は泊まる。部屋に入り、テラスにでるとシャンパンとお菓子が。さすがスイート。

 お酒を飲んでいい感じになったところで、バルパライソに行ってピザを食べる。友人の持ち込みワインものんでいい気分。


 夜も老けたところで、夜景を見に行く。バルパライソは港町で、坂道ばかりの街だ。そして、夜景がキレイ。意味で本当に神戸っぽい。でも神戸ほどの商業地区ではなく、住宅地が広がり、かつあまり裕福ではないため、ネオンのようなものもないし、高層ビルもないので住宅の柔らかい黄色の光で夜景が埋め尽くされる。神戸のカラフルな夜景もいいけど、素朴な黄色一色の夜景もいいものだ。

 そしてホテルに戻り、今日のメインイベントであるカジノへ!

 軍資金は6万円。ホテルに着いてすぐに少ししていて、1万円ほど買っていたのでこの時点で7万円。

 最初にぐるっと一周してみるとなんと中学時代にゲームセンターで遊んでいたポーカーゲームが!!!!!懐かしい思いをしながら2000円ほどする(笑)
 その後、ブラックジャックを中心にルーレットを楽しむが、順調にお金は減っていきなんと1000円まで減る…そして気がつくと朝の6時…この時、もはや簡単な1桁の足し算もままならない状態(笑)
 やけっぱちでブラックジャックをやっていると起死回生の流れがきてとりあえず10000円まで戻す。でも1万円だけ死守しても面白く無いので、いっそルーレットで全部かけてみた。赤に8000円、そして2000円をマイケル・ジョーダンの背番号23へ。ちなみに23にはこの1日で20000円ぐらい賭け続けたけど、見事に当たらなかった。でも赤があたり1万6千円。
 さらに赤にかけて3万2千円。ええい。トントンまで持って行くぞと、スッて0円か当たってトントンか!もう一回赤にかけたらなんとあたりの6万4千円!!!!!
 ここが引きどきだとカジノを後にしました。初めてのカジノで勝ちはしなかったけど、負けなかった。引き際としてもここが最良でしょう。いやー、最後が熱かった。最後がよければすべてよし。

Chile, Day.5


 今日はイースター島からサンチャゴへの移動日。朝ホテルのお風呂に入ろうとするが、なんと風呂に電気がない。切れてるとかじゃなくて、ない。ソケットすらない。しかもお湯でない。出るんだけど、全然水…凍えながら暗がりのシャワーを浴びて朝飯を食う。ホテルに居つく猫が近くに擦り寄って来る。

 旅行代理店からは空港に2時間前にいけと言われていたが、ガイドとかホテルの人からは1時間前でいいと言われたので時間を持て余す。ハンガロア村を散策して時間をつぶし、その後空港へ。ところが、時間が1時間ほど遅れるので待ちぼうけ。合計2時間ほどを無駄にしてしまった。これなら下手したら残りのモアイも見えたんじゃないだろうか…
 LAN航空の飯はうまい。というか、器が綺麗なので飯が3割増でうまく感じる。そして不思議なのが、なんとナイフとかフォークが金属なのだ。普通、セキュリティ的にプラスティックにしているはずなのに、LAN航空はなぜか金属。

 すっかり遅くなって友人宅へ戻る。ちょうど旅行の真ん中というこの日に、奥さんが日本のカレーを出してくれた。カレーはもはや日本の魂。落ち着いた。

Chile, Easter Island Day.4


 今日はチリ旅行の目的の一つでもあるイースター島旅行だ。イースター島にはタヒチ経由とサンチャゴ経由で入ることができる。日本からイースター島に行くのであれば普通はタヒチ経由だが、今回はもちろんサンチャゴから入る。サンチャゴから行く場合、国内線にも関わらず5時間程度飛行機に揺られることになる。しかも、往復で10万円程度かかる。
 イースター島は、イスラ・デ・パスクアとスペイン語で呼ばれ、さらに現地の人にはラパ・ヌイと呼ばれる。むしろチリではイースター島とは呼ばれない。
 イースター島に到着すると、ガイドが待っていてくれた。今回は1泊二日の強行軍で、集団のガイドがないため、プライベートで雇うことになった。最初にホテルにチェックインする。ホテルは金額的にけちったが、おかげである意味雰囲気のある現地っぽい建物にとまれた(笑)

 ツアーの最初は、ラノ・カウという火山口に行く、この島には4つの火山跡があり、そのなかで最大の火口をもつのがラノ・カウだ。そのスケールから、信仰の儀式が行われるような神聖な場所として扱われていたようだ。

 次にラノ・カウのすぐそばにあるオロンゴへと向かう。海岸に切り立つ崖の上に、人や鳥の模様を掘られた岩が置かれている。崖の先には3つの小島が浮かんでおり、そのなかで一番大きな島で儀式が行われていたそうだ。儀式は鳥人儀式と呼ばれ、島でもっとも力を持つ人間を決めるための儀式で、買ったものが鳥人として崇められたそうだ。

 次にビナプへと向かう。ここには変わったアフとモアイがある。アフといのはモアイの台座に当たるものだ。ここのアフの特徴はその石組みで、ナイフが入らないほどピチっと収まっている。このことから、イースター島にはインカの技術が持ち込まれているのではないかと言われているそうだ。また、ここビナプには女性のモアイがある。そのモアイには女性器や乳房がかたどられており、さらに赤い石で作られていることから非常に珍しいモアイなのだそうだ。

 次はプナ・パウに向かう。プナ・パウはプカーオをつくるための石切場だ。プカーオとはモアイの上に乗っけるマゲ(帽子とも)に当たる装飾品で、モアイ本体が溶岩基質の黒目の石を使うのに対し、プカーオは赤い石を使う。先程の女性のモアイもこの石で作られたようだ。日本では、というか俺の中ではプカーオなしのモアイの方がイメージあるのだが、プカーオがあるのが由緒正しいらしい。

 そして、ハイライトのひとつでもある、アフ・アキビ。ここのモアイは海を向いているのが特徴だ。他のモアイはすべて内陸を向いているのに対し、ここのモアイだけは海を向いている。ガイドによると、現地民はポリネシア人で、ニュージーランド・ハワイ・イースター島の三角形にポリネシア文化が構築されている。その中でもニュージランドが起源であり、イースター島から見てその方角が西である、だからアフ・アキビのモアイは西を向いているのだという。

 次はアナ・テ・パフ。ここは洞窟で、アナは洞窟を表す。日本語の穴みたいで親近感が湧く。ここは溶岩が通った跡らしく、木の化石が挟まっていたりもする。ここは天然の要塞のようにも使われていたようで、白人による奴隷狩りの際にはここに立て篭っていたようだ。タロイモのような食料も僅かな穴から注ぐ光で育てていたようだ。

 最後にタハイ。ここにはアフ・モアイ・プカーオ・目とすべてのパーツが入っている完全体がある。その横にも複数のモアイがあり、西海岸にあるため夕日に映える構図になっている。

 ホテルに着くと、軽く街を探索して教会とかにも寄りつつ、お店で食事を済ます。ピスコ・サワーというお酒が気に入った。ピスコはぶどうを元にした蒸留酒らしく、チリではよく飲まれているようだ。

 今回は1泊ということで全部は回りきれなかった。今回は南部と西部を回った。後は東部が残った。東部にはアフ・トンガリキという日本企業の援助のもと復旧させた15体のモアイ像や、ラノ・ララクというモアイ本体の岩の石切場がある。ここも見たかったが、さすがに仕方がない。

Chile, Day.3

 

 前日に遅くまで起きてしまったので、遅めの出発。ドス・ドミニコスという場所でおみやげ品を探す。

 チリではこの間の事故のように銅の鉱山があり、銅の輸出が総輸出額の4割を占めるほど豊かに存在している。そのため、お土産も銅の工芸品が有名だ。また、ラピスラズリという鉱石も取れるらしく、それを用いたアクセサリーもたくさん置いてある。ラピスラズリ入の銅の工芸品があったため、それを買ってから遅めの昼食をとる。今日はチリ料理で、エンパナーダというパイづつみだ。中にはひき肉が入っていたり、チーズだったり、エビだったりと種類は豊富。

 その後、サンチャゴの街を一望できる、サン・クリストバルの丘という高台に登る。サンチャゴの街は四方を山に囲まれている盆地だが、その盆地の平野は非常に広く、パッと見た感じでは東京よりも広いのではないだろうか。この街にはチリの半数に当たる人々が住んでいると言われ、約1500万人近くが住んでいるらしい。たしかに広い。ただ、盆地でありながら、主な交通手段が車であるため、スモッグが公害として問題になっているらしい。たしかに見ただけでモヤがかかっているのがわかる。

 その後、ホームセンターによって、バーベキューセットを買う。テラスに設置して、バーベキューしようというのだ。そんなことができるテラスがある家に住んでみたいものだ…
 意外と組み立てに苦戦しつつも完成させて、4人で楽しく晩飯を食して就寝。