知の限界について

 僕はもともと理系の人間です。というか今も大学は理系では無いのですが(文理総合?)、僕はつくづく理系の人間だと思います。物事の考え方や、好み、そもそもそんなことを考えるところからして理系だなぁと思います。知り合いの人とか、就活の面接のときも"論理的な人ですね"と何度も言われましたしね。
 そんな僕は宇宙の話が好きなんです。宇宙にはロマンがありますよね、ボーっと見上げた夜空はただ暗い空間なんかじゃありません。地上から思うよりもより深遠な、想像もできない空間があるんです。身近な話だと、僕らの体の構成要素である炭素や、僕たちが生きていくために必要な炭素や酸素というものは、太陽クラスの星の活動である核融合によって作られ、その太陽の死後に宇宙に散った物質です。地球上で産まれたものではありません。つまり僕たちは太陽によってできた「星の子」なんです。そうゆうことを知ると不思議でロマンチックであって、まだまだ謎があると思うと知的好奇心がくすぶられませんか?
 とまぁ、宇宙の話をするとなが〜〜くなってしまうので、それはさておき(いつか書きたいなぁ)。宇宙が好きなこともあってそういう本をよく読むわけです。宇宙の分野というのは物理学が扱う分野で(もちろん天文学も大事だけど、今の最先端は物理が非常に重要)、自然と物理のことも勉強するわけです。
 そんな本を読んだとき、とてもおもしろい言葉を知りました。物理の最先端を研究している人の言葉、”知れば知るほど、知るべきことが増える"ということ(正確な言葉は覚えていません。意味だけ覚えてます。)。今、物理学では大統一理論というホットな話題があって、良く究極の理論だとか、これですべてが解明できるというようなことが言われていますが、それは違う、ということを言ったんですね。
 そうではない、ではどういうことか、そういう究極の理論を知れば、よりいろんなことがわかるんだ、それが重要なんだということです。新しい知識を得れば、新しい現象を説明できる、新しい現象を説明できると、さらに不思議な現象を知る。それはつまり、より人間がいろいろなことを"知るための知識"になるんだ、だから人間の知識に終わりは無いんだ、と言ったんですね。
 もちろん、この人は物理学に関して言ったんでしょうが、これはある意味すべての人間に対して言えることじゃないかと、物理だけでなく、人間が得れるすべての知識に対して言えるんじゃないかなと思いました。新しい知識が無ければ見ることも、そんなことがあることを知ることもできなかったことを知ることができる。認知学や哲学にも似たようなことが言えるんですね。僕はこの概念を大事にしたいと思います。

知るために知る、知れば知るべきことを知る。