「デッドマン・ウォーキング」1995年 アメリカ

B002AEG2E2デッドマン・ウォーキング [DVD]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2009-08-05

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 死刑囚が死刑執行されるまでの1週間を描いた名作。主役の死刑囚役にショーン・ペン、その死刑囚にカウンセリングを行う尼僧役にスーザン・サランドンが出演している。さらに監督はティム・ロビンスだ。
 どうしようもない大罪を犯した犯罪者であっても死刑反対派は反対するのか、死刑囚はただ殺されればいいのか、被害者の家族にとっての死刑とは、といくつかのテーマを投げかける。
 ショーン・ペンスーザン・サランドンのやり取りがまさに名演だ。友人が「何気なくつけたテレビでやっていて、ラスト10分しか観ていないのに号泣した」と言っていたが、確かにそうだと思う。

 あらすじ
 尼僧のヘレンは、若いカップルを脅し、男性の後頭部を打ち、女性をレイプした上でナイフで刺し殺した罪でとらえられ、死刑宣告を受けたマシューから手紙を受けて刑務所まで会いに行くことになった。
 マシュー曰く、マシューともう一人ヴィッテロの二人でカップルを襲ったが、殺したのはヴィッテロであり、マシューは観てただけだと言う。さらにヴィッテロは金を持っていたのでいい弁護士を雇って無期懲役で、マシューは金が無く公選弁護人だったから死刑なのだ、だからもう一度再審を受けるために協力してほしいと言われ、ヘレンは協力することにする。
 しかし、いざ再審を受けるために弁護士に協力を求めたりして行くうちに、マシューはヘレンを信頼しお互いいい関係を築きかけていく一方で、マシューはテレビのインタビューでヒトラーや人種発言を肯定するような発言をして世間から顰蹙を買い、ヘレンは被害者家族から被害者家族の気持ちを踏みにじるなと罵られ…

 <ここからネタバレの可能性あり!!>
 ヘレンは聖書の教えの通り、どんな罪であろうとも赦されるべきであり、いかなる人であっても死刑は行われてはならないと考えていた。しかし、マシューの行った罪の重さと、その罪を全く感じていない態度、さらには被害者家族の深い悲しみにより、本当に死刑は行われないべきなのかどうかで揺れ動く。
 被害者の悲しみは特に深く、夢ある若者が未来を無惨に奪われる辛さ、人であれば罪は赦されるが、もはやマシューは人間ではないと言う。人間ではないのであれば、罪を赦す赦さないの範囲を超える、聖書の通り赦す必要は無いという考え方はいかにもキリスト教的考え方だと感じる。もちろん本来的にはヘレンのように常に赦されるべきではあるが、被害者家族にとってはそう解釈しなければ自らのアイデンティティーを保てないんだろう。 知事に直談判をするなど、できる限りの手を尽くすが、いよいよ死刑を回避することができなくなってきたときに、ヘレンが取る行動というのが「告白」だ。死刑囚はただ殺されればいいのではない。罪の意識を感じ、赦しを乞うてこそ死刑に意味はあると考えるのだ。しかし、マシューはすべての環境のせいにする。知事の選挙のせい、ヴィッテロのせい、金が無いせい…ヘレンはマシューに対して殺人が行われた瞬間の話を具体的に聞こうと、告白を促すがマシューは話さない。さらにイエスも反逆者だったと聞いたときに「俺と同じだ」とすらいい、ヘレンを苛つかせる。
 しかし最期の最期になり、ヘレンの深い愛によりマシューは告白する。男を銃で撃った。ヴィッテロのワルさ、かっこよさに勝ちたかった、ヴィッテロは女を殺したから負けじと殺したと。自らの小ささを恥じ、自らが行った罪の大きさを感じ、後悔をしたのだ。これにより、マシューは「人間」になり「神の子」になる。
 最期に俺はもちろん、いかなるもの、政府も含めて命を奪うことは良くないと訴えかけ、神の子としてキリストと同じ十字の体勢で、また自分が殺したカップルたちの死体と同じ体勢で死刑が行われる。そしてまさに死にいく瞬間、カップルの顔がガラスに映る。
 この最期のマシューとヘレンの会話・表情がたまらない。マシューが告白する瞬間の悲しい目、デッドマン・ウォーキングといわれて道を歩くときの後悔の顔、十字に縛られたときの体の震えと呼吸、息が止まる瞬間の力が抜ける様子。ヘレンが賛美歌を歌う声、マシューの左肩に手をかけて懸命に聖書を読む姿、死刑執行されるときのあの手の震えと悲しみの目…こりゃここだけみても泣けるよ。