子供のころふと思ったこと

 確か小学生の頃だろうか。"俺ってなんだろう?"という疑問が浮かんだことがあります。ほとんどの人が、一度は考えたことの様に思うかもしれませんが、俺が思ったのは、"哲学的に俺とは何か?"ではなく、"生物学的に俺とは何か?"です。
 俺とは何か?俺は何兆もの細胞でできている。俺はその中の一つなのか?違う。俺はその中の一つではない。その中の一つであれば、俺の思うがままに手は動かない。俺は手なのか?違う。また、俺が手であれば、思う方向に歩くことはできないし、ものを食べたときに消化ができない。では、俺はハートなのか?違う。心臓はただのポンプである。ポンプではものが考えられない。では、俺は脳みそなのか?少なくとも、脳みその単細胞の一つなのか?それはあり得るかもしれないが、やっぱり違う。脳みそにしたってたくさんの細胞でできている。たくさんの細胞がそれぞれ好きなことをしてしまうと、俺の思った通りに動くことができない。では、俺は単細胞の一つではないのかもしれない。では、俺はたくさんの単細胞が集まった脳みそなのか?俺は脳みそにいる感覚が全くないし、俺は胃とかの内蔵に命令を出したことがない。じゃぁ誰が動かしているのだ?やっぱり、俺の中には何人か他人がいるのだろうか?表立って見えるのが俺、それ以外に裏方がいるのだろうか?その裏方は、俺が思った通りに動くように、それぞれ手や足や胃や腸にいる単細胞に命令をしてくれているのだろうか?彼らはそんなことをすることに納得しているのだろうか?そもそも、彼らはそういう思考をすることができるのだろうか?思考って何?どこでするもの?脳みそだけ?つまり俺だけ?俺が脳みそである証明ってできるの?てか、細胞と思考ってつなげるのは無理なのか?やっぱり俺は"全体として俺"なのか?
 なーんてことを考えていたなぁとふと思い出したのです。なつかしすぎるお題だったので、また忘れる前にメモ。結局未だに答えが出ないなぁ。思考というか精神ってものはすごいよ。脳みそが司ったとしたところで、脳みそなんてただのシナプスの集まりよ?細胞一つ一つに精神のかけらも無いのよ?それらがニューラルネットワークを築いた瞬間に精神が洗われるってすごくね?そりゃ人工知能なんてできないよね(笑)