「砂の女」

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 新年早々、こんな本に出会えるなんて!
 晩年はノーベル文学賞を取るのではないかと期待されたりもした安部公房の代表作。安部公房の本は初めて読んだのだけれども、カフカと比べられるのもよくわかる。観念的でありながらも、その比喩表現の豊かさにより、あり得ない状況を当たり前の状況の様に錯覚させるその文力!
 一人の男が、寂れた村に訪れ、村人によってあり地獄の様な砂穴の底に一人の村人の女とともにとらわれる。そしてひたすら砂穴の底から砂を掘り続けることを強いられる。そんなあり得ない設定なのに、いつの間にか主人公に感情移入し、必死に抜け出す方法を考えようとする。そんな力がこの本にはあります。

 あらすじ
 一人の男が、海辺の街に昆虫採集の為にやってきた。砂浜は過酷な環境のため、もし昆虫がいれば珍しい種類に違いなく、なんとか新種を見つけ出して自らの名前を入れたいと思っていたのだ。3日間の休暇の初日、結局それらしい昆虫は発見できなかったため、宿でも探そうかと思ったときに砂浜の近くで、砂に埋もれかけた街の人から誘いがあり、一泊泊めてもらうことにした。
 次の朝、ふと起きると、泊めてもらった家の女が裸で寝ている。それも砂の舞う家で寝ているために裸の上にうっすらと砂を塗ったような状態で。わけもわからず、外に出てみると、すり鉢状の一番下にあるこの家に来るために伝って来た縄梯子がない!あわてて女に問いつめるも、女は黙ったままだ。
 「しまった。はかられた」

 <ここからネタバレの可能性あり!!>
 この最後は考えさせられますね。もちろん最初にこの男が死亡宣告を受けることを知っているので、脱出に成功しないことはわかっていたし、何となく最後の方になると、そのまま自らの意思で居続ける気じゃないか?というのも読めるのだが、でもそれを読んでいて自然だなと受け入れてしまった自分にビックリした。
 この最後で問いかけられることっていうのが、「幸福とは何か?」という根本なんですよね。砂の街に居続けることは制約が続くことと思っていたが、何のことはない、外の世界だって制約だらけなのだ。仕事場に行けば、周りの教師達の干渉を受け、家にいれば妻からの干渉を受け。干渉とはつまり制約である。元々この男に自由な空間は無かったのだ。
 その点、砂の家であれば、一人の献身的な妻がいて、しょぼいながらも家があり、妻と同じラジオを買うという夢を共有し、溜水装置を研究するという趣味までできた。いったい足りないものは何なのか?自由?自由って何よ?おいしいの?ただ、淡々と何も考えずに毎日砂を掻き揚げる。たったそれだけで、この状況が手に入るのだ。その他の世界のことなんて何にも気にする必要がない。塩分を含んだコンクリートで誰が死のうと困ろうと、全く関係ない話なのだ。変に新聞なんか読んで、世界と繋がった気でいる方が面倒な話なのだ。
 砂の女ははじめからそれをわかっていたのだ。一つの家があり、一人の夫がおり、家のこと、自分達の生活以外は何も気にせず、そして誰にも干渉されずに入れさえすれば何も問題が無かったのだ。だから、男が家を壊したり、セックスを見せ物にして干渉されようとしたとき以外は全く抵抗しなかったのだ。
 いったい、幸せとは何か?もちろん砂の家に行きたいと思うやつはいないかも知れない。しかし、あくまでこれは比喩的表現であり、実際の世界として、誰にも干渉されず、誰にも関知せず、決められたことだけを行って、些細な生活を得る、ということはできる。まさにこの主人公の教師の生活なんてそうではないだろうか(もちろん出世を考えない先生に限るが)?そう思うと自信がなくなる。確かにそんな生活もいいかも知れないと思ってしまう自分に悪寒が走った。