数学にゼツボウした日

数学の道が閉ざされるとき
 このエントリーを見て、「容疑者Xの献身」に対するモヤモヤ感がきれいに晴れた気がする。そうか、堤真一にばっかり感情移入したのは、堤真一が数学に対して深い絶望を感じて、闇に落ちたからなんだなと。でも数学を愛して間近に置いておき続けたんだなぁと。それが、俺の高校3年生のあの日に無意識下で繋がってたんだなぁと。
 あの日ってのは、高校3年生の時のこと。当時、そこそこの進学校にいながらも、ろくに勉強もせず、バスケも半年でやめて、授業中は漫画を読むかゲームボーイをするか、しゃべるか早弁するかだし、授業が終われば三宮で遊ぶか、彼女とセックスしてるかの怠惰な生活を送っていたせいで、成績もそれはひどいものだった。入学時には上位10%か、少なくとも20%にはいたんだが、いつの間にか中の下ぐらいまで下がっていた。数学だけは好きで、授業もろくに聞いていなくてもたいていトップクラスだったが、ついに高校2年生のベクトルに入ったあたりで、これまでの遺産も食いつぶしてしまった。
 高校2年と3年は理系クラスに所属して、同じ数学の教師が担任だった。数学の教師らしくいつも冷静で、言いにくいこともずばっという先生だったが、さすがに高校2年のときの進学面談で、"このままじゃ関関同立にも受からんよ"という言葉で目が覚めた。
 それから、自分でも驚くほどに(といってもほとんどの受験生はビックリするほど勉強するので、自慢するほどでは無いが)勉強したが、やっぱり数学の勉強が一番楽しかった。それまで授業をろくに聞かなかった俺が、毎日昼休みに職員室に行って担任の席にいって質問攻めにするぐらいだった。そしてやっぱり成績も比例して数学が一番最初にあがり、偏差値70は平均的に超えるようになった。
 そんな俺が数学科を目指すのは自然な流れだった。そしてそれを担任に告げると、きっと喜んでくれると思った。ところが、その担任の返答にゼツボウした。

「数学科なんて行っても数学の教師にしかなれんぞ?」
 確かに、さすがに数学者として世に出れると勘違いするほどバカではなかった。でも昔親父から、「数学で、暗号を研究すれば役に立つぞ」と言われたこともある。実際、暗号をやってればセキュリティ関連の会社に入って飯が食えたかも知れない。しかし、親父と担任の言葉を合わせても、将来の選択肢がたった2つに減ってしまったわけだ。まして教師は最もなりたくない職業だった。今思えば、数学をやって金融工学を学んだりいろいろ道があるのはわかっているが、高校3年の俺には世間が見えなかった。結果、俺は情報科という訳の分からんなんでも潰しが効くような、そして潰しが効きすぎてなんの取り柄もない学科に行ってしまった(いや、もちろん意味はあったし、好きであればきっと武器にはなったのかもしれないが)。

 あの担任に文句を言う気はさらさらない。いつも通り冷静な判断だったと思う*1。でも、いまだにあそこで数学科の道を勧めてくれていたらと思っていた。でも上記のエントリーにある通り、本当に好きであれば間近に接してられる数学教師という道もあったし、数学科のすぐ近くの物理科に行く道もあった(物理は数学の次に得意だった)のに、簡単にあきらめてしまったのだから、俺はその程度だったんだなぁと、それをこの映画とそしてこのエントリーを読んで感じて、ショックだった。
 あの日のことは今でも鮮明に覚えている。でも、そのときは、そしてついさっきまで、あの日のことがこんなに記憶に残るほど重大なこととは思っていなかったが、いつの間にかトラウマにすらなっていたのかなぁとも思う。
 もし、あの日、担任が喜んでくれていたなら、俺は全く違う人生を歩んでいたんだなぁと。今更ながら思った夜でした。

*1:ただ、この担任に言われて、意地でも関関同立に入ってやると思って、現役で特待生で入ったときに、「関関同立じゃもったいない」と言われたことには今でも腹が立つが(笑)