リメイク版「生きる」

 やっぱり観るんじゃなかった。
 スタッフは全員映画の仕事をやめろ。頼むからやめてくれ。こんな冒涜は初めてだ。史上最低の改悪リメイクだ。
 「天国と地獄」とは違うんだ。「生きる」はヒューマニズムを高らかに謳う映画なんだ。「天国と地獄」のリメイクもそれはひどいものだったが、この映画はそれ以上に単純なストーリーで語れる映画じゃないんだよ。
 この映画をリメイクするにあたって、スタッフや役者は原作を見たんだろうか?誰も原作どおりに作れとは言わん。原作どおりに作るならリメイクする必要がないからだ。
 でもな?原作を見ていたらありえないことがわかるだろう?小田切は市政がいやにやって仕事をやめたんだろう?生産性の無い仕事がいやでやめたんだろう?ならなんで市政の頂点に立つことを争う市長選の、しかも何も生み出さないウグイス嬢なんてやるんだよ!?ウグイス嬢を否定するわけではないが、小田切が選ぶ仕事じゃないのは一目瞭然じゃないか!
 木村は渡辺に感化されたんだろう?だからそれに影響されない同僚たちに怒りを覚えたんじゃないのか?ただただあきれるんじゃなくて、そこには怒りがあったんだろう?でもそれに立ち向かえなかったんだろう?ただ逃げ出したんじゃないだろう?あそこで一度歯向かい、そして負けてしまうことに意味があったんじゃないのか?黒澤が人間は弱いということをあの一瞬のシーンで描くことであの映画は単なる市政にまつわる映画じゃなくて、人間一般に通じる映画に昇華したんじゃないのか?
 渡辺勘治の「もう、遅い」というセリフに、志村喬はどれだけの意気込みをかけて吐いたかわかっているのか?松本幸四郎は確かに実績もあってすばらしい役者ではある。でもこの役を演じるに適していないことぐらいわからないのか?あんな男前である必要はないし、凛々しい雰囲気は不要だ。その割りに気迫がない。渡辺が生まれ変わるシーンで、あんなに中途半端に近寄ったら、普通叫ぶなりセクハラなりを訴えるだろう?あそこは気味が悪くて、今にも叫びたくて、実際に小さく叫んでしまう。でもあまりの気迫に、それ以上の声が出ないんだろう?
 監督はいったいこの映画をどうしたかったんだ?観るものをなめているのか?最初のシーンでなぜもっと渡辺を悪く描かない?そのギャップを感じさせなきゃならんだろうが。渡辺が生まれ変わるとき、確かにハッピーバースデーの歌は重要だ。だけどな、あんなにわざとらしくバカな女どもに歌わせる必要があるのかよ?渡辺がブランコで歌うシーンも、あのフィルムだからセットでいいんだよ。今のキレイな映像でマネをしたら浮くだろうが。名シーンだからって、カラ回りしてんじゃねぇよバカが。才能が無いんだよ。
 小説家を車のディーラーに設定を変更する勇気はあったんだろう?だったら徹底的に時代に合わせろよ!今の時代に公園ごときで、やくざが助役にあんな形で会いにこれるわけが無いだろう?いまどきあんな家はないだろう?よっぱらってても上司に「貴様」とはいわんだろう?時代背景を考えたか?言葉遣いすらまともに現代版にできないのか?Jazzバーで「ゴンドラの唄」を唄って、誰も気にしないわけがないだろう?
 極めつけは最後のシーンだ。なんだよ?安いドラマのように(実際安いドラマになってしまったが)、最後に全員集合ってか?みんながそろって満足か?極めつけはなんだ?あの安っぽい琉球調の「ゴンドラの唄」は?ふざけるな。バカにするのもいい加減にしろ!映画を金稼ぎの番宣のために、クソ以下にリメイクをするんじゃない!お前らは映画を愛してないのか?やめろ。今すぐに映画作りから離れろ。お前らは手を出してはいけないものに手を出したんだ。
 もう、書くのも疲れた。このまま書き続けたら、映画を観た時間以上に、映画のセリフ以上に文句が出てきて胸糞が悪くなる。やっぱり観るんじゃなかった。

PS:本当の「生きる」について、つたない文章ながら感想を書いています→「生きる」