「アキレスと亀」 2008年 日本

B001LELICIアキレスと亀 [DVD]
ビートたけし, 樋口可南子, 柳 憂怜, 麻生久美子, 北野 武
バンダイビジュアル 2009-02-20

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 今作は"北野武の好き勝手に撮りたい版映画"である。黒澤明が売れ線の時代活劇と芸術性が高いけど一般受けしない映画を交互に撮っていたのは有名だけど、北野もそういうことをする。今作は後者の売れ具合なんて気にしない方である。だから誰にもお勧めしない。
 俺はとても楽しめたけど、一緒に行った連れは見終わった後に顔が青ざめてテンションがだだ下がりで「だめだった」と言っていた。でも、それは俺からしてみるととてもいい経験だったと感じる。衝撃を受けて参ってしまう映画なんだよ?と。本当にだめなら、眠たくなったり、何も感想なんて出てこないよ。それに、「あのシーンがきつかった」とか「あれはどういう意味だったんだろう?わからない」なんてことは言っていたが、不思議と批判はしていなかった。そういう意味でもこの映画は非常に特異なんだ。
 北野らしい、画面が冷えきるような感覚は相変わらずただよっていて、人はただの人で、命に重みなんてない、ただの人、ただの命だと感じされる。それが好きならきっと観てみるといいんじゃないだろうか。俺はもちろん楽しめました。

 あらすじ
 真知寿(吉岡澪皇→柳ユーレイ→ビートたけし)は大富豪の倉持利助(中尾彬)の息子として、何不自由のない生活を送る。利助に似て絵が好きだった真知寿はひたすら絵を描いていた。勉強も全くせず絵を描き、時には走っている電車を強引に止めてでも絵を描いた。ゆくゆくはフランスに留学でもして絵を学ぶのが既定路線だった。
 ところが、利助の事業が突如傾き、一家は破産。利助は自殺し、妻は利助の弟富舗(大杉蓮)に預けてやはり自殺してしまう。富舗は利助に恨みを持っていたため、真知寿に辛くあたり、やがて孤児院へと送り込まれてしまう。こうして大富豪の息子から一転して、奈落の底に落ちてしまう。
 それでも絵だけは描いていた。そして苦学生となりながら芸術学校に通い、いずれ有名が画家になるべく目指して行く中で、よき理解者幸子(麻生久美子樋口可南子)とも結ばれて行くが…

 <ここからネタバレの可能性あり!!>
 結局この後に画家として売れることはなかった。最大の理解者である幸子との間に子供をもうけたが、真知寿はその子供にも、幸子にも興味を抱かず、ひたすら絵を描き続ける。定職に着くこともなく、娘が売春しようとも、幸子が真知寿を養うために昼間は汗水流して働き、夜は真知寿の製作につきあってぼろぼろになろうとも、真知寿は関知しない。それほど芸術にすべてをかけるが全く芽が出る気配もなく、中年になってしまう。
 それどころか、真知寿は画商の言うことを聞きすぎたのか、やがて自分の描きたいものを見失ってしまっているように思える。幼少の頃は描きたいものを描きたいように描いていたが、やがて画商の言われるがままに描いてゆき、描きたい対象を見失って、手法にこだわって行くようになる。そのため、絵は何を表しているのか、メッセージもなく(メッセージ性を問われれば大して関心のないありふれたメッセージを書く)、目的を見失って手段ばかり気にするようになり、どんどん絵の魅力を失って行く結果になってしまった。
 そういう意味で、一番すばらしかった絵は母親が死んだ後に壁に描いたあの絵だ。アレは素直に観ていて気持ち悪く、観ているものを揺さぶる絵だった。思えばあればピークだったのかもしれない。それ以降、真知寿は本当に描きたくて描いた絵はないんじゃないだろうか。
 最後のシーンについては、解釈が難しい。あの錆た缶に20万円の値をつけた意味、そして最後のナレーション「こうして追いついた」の意味。これは、真知寿が芸術に対して冷めた目で客観的に観れた。芸術を捨てられて、ようやく人間らしさを手に入れた、一人前になれたという意味なのだろうか。つまり芸術とは人間らしさを持ってそれを表現することであり、人間性のない人間に芸術は作れないというメッセージだったように感じた。