寂しげな雨

 会社からの帰り道、天気予報が自信無さ気に降水確率50%と予想していたが、その通り雨が降っていた。雨粒はそれなりに大きそうで、でも数は多くない雨でしとしとと降っていた。なぜか俺は寂しそうな雨だと感じた。そして会社帰りの人が傘を当たり前のようにさしているのを見て、産まれて初めて「空から水が降ってくる地球は不思議だ」「それを不思議と思わない人間って不思議だ」と考え込んでしまった。
 いや、理屈自体は小学校で習うことだから、理屈そのものを疑いはしない。でもやっぱり目の前に雨粒が落ちてくるのを見ていると、理屈じゃなくて、実感として納得が出来なかった。水分の循環システムであり、陸への水分の再分配であるのはわかっている。でも何で空から水が降ってくるのか?なんてことを考えてた。理屈を知っているだけに、考えても答えなんてでなくて、実感が沸くのをただ待つしかないのだが。
 ただ、そんなことを考えていたら、何で傘ってささなければいけないのか?という新たな疑問が沸いてきた。今日は忙しい日だ。何で、傘をさすのか?体が濡れないため?服を着てるじゃないか。服が濡れないため?服は濡れて欲しくなくて、その代わりに傘を濡らすのはおかしいじゃないか。傘は濡れるために出来たものだから?濡れることを目的として傘ができているのであれば、なぜ濡れるという目的を服に持たせないのだ?別に濡れたっていいじゃないか?濡れたら風邪を引く?現代の建物なんてエアコンがあるんだから、濡れて寒くなって風邪を引くことなんてないよ。100年前ならわかるけどね。
 もともと俺は傘が大嫌い。学生のときは少々の雨なら傘をささず、むしろ濡れることを喜びさえした。両手を天に掲げて”ショーシャンクの空に”のマネなんかしながら。だからやっぱり傘をさすことに納得できない。今俺が仕方なしに傘をさすのはびしょびしょになると周りの人が変な目でみるからだ。社会が俺に傘をささせているだけ。社会が許すなら傘なんてさしたくない。
 なんて考えていたら、自宅の最寄り駅についた。まだ雨は寂しげに降っていた。もっとも、電車に乗っている間、雷が鳴るほど降っていたようだが。