形無きものの次にあるもの

 神戸から東京へ帰ろうと、三宮からポートライナーに乗って神戸空港へ向かう。ポートアイランドを北から南へ向かうにつれ、だんだんと寂れた町並みに変化して行き、空がよく見えて、悲しげな雰囲気が見えるようになってくる。
 ところがそろそろ空港が近づいてくると、じわじわと雰囲気が変わってくる。確かに空は見えてはいるが、何か確かに雰囲気が違う。何か張り詰めたような、でもゆったりしたような不思議な空間だ。それは、大学時代に大学院棟に漂う空間だ。
 それもそのはず、その地区は現在、神戸市が神戸医療産業都市構想に基づき医療関係の研究所を開設している地区なのだ。かつてアジアを代表する港を有し、優れた地区設定により隆盛を極めたこの街は、「株式会社神戸市」と呼ばれるほどの賞賛を浴びた。しかし中国や韓国の港にキャッチアップされ相対的に評価を下げ、さらに阪神大震災で多額の負債を負ってしまった。その神戸が起死回生の一手としてうったのが、この神戸医療産業都市構想なのだ。
 この構想を聞いたのは3,4年前だろうか、その時に神戸市の先見性にビックリしたものだ。かつて日本は、木綿などの軽くて安いものを主戦場として輸出を拡大した。そしてそこで技術を手に入れた日本は「重厚長大」といわれるように、鉄鋼や造船などの重く、大きく、高価な製品にシフトしていく、さらに次は半導体や自動車や家電製品のような小さく高価な製品に続いていくが、半導体事業はやがてインテルなどに押され始めていく。さらに次は「形なく、価値のあるもの」として情報産業が発展していく。しかし半導体事業というIT事業の根幹部分で遅れをとった日本は大敗を記す。優れたソフトウェアはマイクロソフト・アップルのOSを中心に独占され、アメリカに奪われていく。
 俺が大学生のころ、もう日本はどうしようもないなぁと思っていたころ、この神戸医療産業都市構想を聞いてビックリしたものだ。そうか、「形なく、価値があるもの」の次は「生命」なのかと。そのころはクローン技術や再生医療のように「無から何かを作り出すのか」が注目されていたし、高齢化が進む日本にとって元気に長寿を全うすることによって価値を見出し、ひいてはその元気な高齢者を新たな労働力にするのかと。その先見性に驚いた。 
 昨日、日経の朝刊でその神戸医療産業都市構想が特集されていた。目標の100社誘致を軽く超え、さらには次世代スーパーコンピュータの誘致も、空港を近くに持つことなどが評価され決定したそうだ。神戸市民から忌み嫌われた神戸空港もこんな形で影響を受けるとは。見越していたのか偶然だったのかはわからないが、これでこの構想はゆるぎないものになるだろう。
 ふと昨日の朝刊を読んで、あのころの自分を思い出した。あのころは多くの神戸市民と同じように神戸空港を忌み嫌っていた。でも今では帰省するために欠かせないものになり、ポートライナーに乗る度に研究者風の外国人達が乗降するのを誇らしく思っている。やっぱり神戸はすばらしい。阪神大震災のときの「フェニックス」をキーワードにした神戸は、経済的にも不死鳥のように蘇るだろう。