「目玉の話」を読んで

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

 正直、こんなにはまるとは思わなかった。【18禁】 嫁に読んでほしくない作品ベスト5にあるとおり、まさに「毒書」だなぁと。これぐらいに陰鬱に毒された本は「罪と罰〈上〉 (岩波文庫)」と「人間失格」とこの「目玉の話」だなぁと。他にも陰鬱になる本はたくさん(「ファザーファッカー (文春文庫)」やら「“It”(それ)と呼ばれた子 幼年期 (ヴィレッジブックス)」やら。)あれども、上記の3つは「読んだ後まで毒される」のが特徴。感情移入をしてしまって、まるで主人公になったかの気分になる。読んだ後に数日間は頭から離れてくれないまとわり付き感があるんですよね。
 この「目玉の話」は光文社古典新訳文書で出版されているもので、これまで「眼球譚」という名前で知られていたそうですが、俺は始めて手にとって読んでみた。
 一言で言えばエログロである。でも、少なくともエロではない。エロス/エロティシズムなのだ。そう、「物理的な摩擦から得る単純な快楽ではなく、精神の高揚による快楽」なんだ。この話はその快楽におぼれる2人の若者たちの話である。 この本を読んで、「エロティシズム」とは何か、「最高のエロティシズム」とは何かを考えされられた。もっと人はエロティシズムを考えるべきだ。つい人と性的な話をするとエロティシズムではなく、単なるエロに走ってしまう。だからそういう話は下世話でタブーとされてしまうのだ。
 もっと真剣に。そして話す相手はパートナーと。二人がより高みに上るために話をする必要があるんじゃないかなと感じた。
 もちろん、俺にはおしっこを掛け合ったり、全裸で逆立ちして性器の上に生卵を挟んで股で割るのが趣味な女の子が好きなわけでもないし、そうしたいわけでもない(笑) ただ、この小説のエロティシズムは表現の一種であって、方法は人それぞれである。その自分に合った表現方法を見つけることが幸せなのだ。
 なので自分がいかにどストレートな性癖を持っていたんだなぁと、狭い世界に生きていたなぁと。まぁ露出やらSMやらに走る気はさらさら無いが、そういった趣味を持つ人たちに一定の理解を得られた本だった。逆に盗撮やらレイプ(もっとも、「いやよいやよも好きなうち」で最終的に相手も快楽におぼれるのであれば別だが。それも、相手の本心を知って、それを開放させるためのもの、である。そこらの三流AVのものではない。)やらの一方的な性欲がいかに下卑なものか、くだらないものかを理解した。