ドラッカーの言いたいこと
去年、ドラッカーが亡くなったときに、ドラッカーの本が売れまくっていた。俺はドラッカーなんて聞いたこと無かったけど、「経営学の父」と言われるほどの人だと聞いたので読んでみた。本自体は、うーん、言いたいことはわかるんだけど、「なんでそうなるの?」ってところが多々あって「マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則」1冊でダウン、エッセンシャル版だからはしょってたのかなー。数式も丸覚えは嫌いで作り方まで覚えていた俺にはきつい…
でもその本の中で強烈に頭に残っていること、コペルニクス的転回ともいえるメッセージがあったそれは、「企業とな何か?」という問いに対する答えだった。皆さんは何だと思います?
それに対するドラッカーの答えは、
- 会社≠営利組織
- 会社=新たな市場を開拓すること=新たな顧客を作ること
ということ。
以下に自分で咀嚼した解釈を書き記す。自分用なのではしょって書く。
ドラッカーは言う、利益とは会社を存続させるための必要条件であって、会社の必要十分条件ではない。会社とは新たな顧客を作ること、そのためにはニーズを読み取り、新たな市場を開拓することである。その結果、利益は付いてくるものなのだ。
これを読んで頭をドッカーンと殴られたような気がした。そう。お金を集めること自体に意味は無いのだ。純利益が何千億、何百億あろうと、時と場合によってはそれは意味が無く、場合によっては罪ですらあるのだ。
なぜか。利益とは新しい市場を開拓し、新たなお客を作らないのであらば不要なのだ。企業が成長をやめ、今の事業を続けるのであれば利益はいらない。利益を出していったい何に使うのか?使うあてが無いのであればその利益は、①商品の価格に反映する②株主への配当に反映する③社員の給与に反映する、と言ったことが必要なのだ。
使うあての無いお金に意味は無い。あまったお金は新たな市場を開拓するための投資・R&Dに使わなければならない。
これをもっとわかりやすく考えるために、こんなことを思いついた。舞台は文明が生まれ始めるあたりのある村。その当時は物々交換でやり取りをしていた。
一人一人が働いている。ある者は田んぼをは耕し、ある者は衣服を作り、ある者は家を作っていた。なぜか?それは村人が、一人で食べ物を作って、一人で衣服を作って、一人で家を立てることは出来ないからだ。だから「分業」が成り立つ。一人は食べ物を作ることに専念し、一人は衣服を作ることに専念し、一人は家を作ることに専念した。それにより、一人ひとりが効率を上げ、ノウハウが蓄積し、発展していった。そうして出来た生産物を交換してそれぞれが生活していた。
お金とは物々交換をする時に、手間だから発明された(家を持ち運びは出来ないし)。お金はものと交換するためにある。ためることに本来的な意味は無い。
これ以上書き出すと長くなりすぎるので書かないが、企業のあるべき姿をこのたとえの村で考えていくと面白い。では、一つのシチュエーションを挙げてみる。
食べ物を作っている者が、作りすぎて食べ物を余らせたらどうなるか?
捨てる?お客を探しに隣町へ?作らない?作らないで楽をしてると隣の人が…作らないからあまった時間で…