制限の無いものに未来はない(1)

 先日テレビ東京で、燃える中国アート争奪戦 〜"日本・欧米・中国"世界が狙うお宝〜という番組をやっていた。番組はおもしろく、興味のあるものだったが、最近思っていたこととかぶるものがあったので書き留めておきたいと思う。
 さかのぼること2週間、クリスマスの頃に三宮で遊んでいた。そのときにセンター街から爆音がしてきた。気になって近づいてみるとDJがダサいラップをしていた。はっきり言って日本人にラップは似合わない。特に日本語でラップは最悪だ。でも、まぁそれが本題じゃなくて、彼は一人でやってるんじゃなくて、後ろで若いきれいなねーちゃんが、かるーくノリながら絵を描いていた。要ははやりのコラボレーションと言うやつだろう。
 でも俺から見れば全く独立したパフォーマンスにしか見れなかった。絵描きにしてみれば一人の方がはかどるんじゃないか?てか雰囲気的におねーちゃんHipHopもラップもきかねぇんじゃないか?大体そんな短い時間で絵なんてかけないだろ?と突っ込みどころ満載のパフォーマンスだった。ところがえらい人数のスタッフがいるのである。無線のマイクなんかつけて必死にビデオにとってやがんの。えらい大事だこと。お疲れさん。
 ただ気になったのが、こんなに無名のやつらでも今はちやほやされるんだなということ。アーティスト様の環境がよくなったな、と言うことが良くわかった。それと同時に彼らのアーティスト生命はもう終わったなとも思った。
 したいことができる環境では人間は頭を使わない。つまり「工夫」しないのだ。そして僕は「工夫」こそが芸術のキモだと思っている。パッと頭に浮かぶことなんてたかが知れてる。それを打ち破る「工夫」があって初めていいものになると思っている。彼らのように大勢のスタッフに囲まれて、絵描きを呼んで一緒に仲良くやりましょうなんてのは芸術でもなんでもない。ただのお遊びだ。
 それと同じようなことが今中国でも起こっているらしい。それが先ほど述べた番組です。長くなったので分けて書きます。

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