「リービング・ラスベガス [DVD]」 1995年 アメリカ

〜"壮絶"という言葉がもっとも合う映画〜

 今回紹介するのは、「リービング・ラスベガス」。この映画は2年ほど前に、ビデオで観たものです。観ようと思ったのは、僕の好きなニコラス・ケイジ*1が出ていて、しかもこの映画でアカデミー主演男優賞をもらったからという理由でした。前情報も無く、ただそれだけで観た映画でした。しかも借りたビデオは古くて画質が悪かった。でも、観終わったときに、"この映画はすごいぞ。"と僕に強烈な印象を与えました。
 そして、今になっても、この映画は僕にとって特別なものだという印象があります。全体的なストーリーが少しうろ覚えになっても、強烈な印象を受けたことや、ところどころのシーンは決して頭から離れませんでした。そしてもう一度観たいという思いに駆られ、ついにこの映画のDVDを買いました。やはり、この映画は素晴らしかった。
 この映画は、正直観るもの全員に受けるものでは無いでしょう。むしろ嫌いな人もいるかもしれない。少なくとも僕の母は嫌いと言っていた(良くこんなマイナーな(?)映画観てたな。もっとも、オカンはニコラス・ケイジを観るとルー大柴を思い出すからかもしれないが)。

 あらすじ 
 ベン(ニコラス・ケイジ)は、ハリウッドの脚本家だったが、酒浸りになり仕事をクビになる。そして酒を飲み続けて死のうとラスベガスへやってくる。
 ベンはふとしたことから娼婦のサラ(エリザベス・シュー)と出会う。サラはロシア人のヒモのユーリ(ジュリアン・サンズ)におびえながら暮らしている。ベンはサラを買ってモーテルへと向かうが、ベンはサラとSEXはせずに優しくサラに語りかけた。そんなベンにサラは興味を覚える。
 あるときユーリはギャングに追われ、身の危険を察知したためサラを解放する。サラは突然自由の身になったのだ。自由になったサラはベンに"いっしょに住まない?"と誘う。ベンは"やめておけ"と言う、"お前は僕のアルコール中毒が酷くなったときの状態を知らない"、だからやめておけと。しかしサラはそれでも住もうという、そのときにベンが出した条件が、

「絶対に"酒をよせ"と言うな」
 と言うことだった。確実に死へと向かうベン、そのベンを愛しながらも止めることをしないサラ。2人の愛は確実に終わりに向かいながら…

 <ここからネタバレ!!>
 僕はこの映画を観ると、"壮絶"という言葉が浮かびます。それほどに2人の愛は凄まじかった。
 この映画はニコラス・ケイジじゃないと務まらなかったんじゃないかと思う。だからこそ、それほどのハマリ役だったからこそ、アカデミー主演男優賞を取れたとも言えるでしょう。それほどニコラス・ケイジはすばらしかった。個人的には、エリザベス・シューと2人で歩いているときに間違えてニコラス・ケイジエスカレーターに乗ってしまったときの一言、「Drink!」というセリフに悶絶しました(どこで悶絶してるんだ)。
 他にもいいシーンはいっぱいありますね、ウェイトレスを呼んどいて着たら「ギャー!」と叫ぶシーンとかニコラス・ケイジ節炸裂!といった感じですね。
 しかし、もちろんすばらしいのはニコラス・ケイジだけじゃない。ストーリーもサイコーに良かった。この映画の原作者のジョン・オブライエン自身もアルコール中毒であり、自伝的小説であった原作が映画化が決定された直後自殺してしまったのだ。奇しくも自殺によってこの映画のリアリティーが証明されてしまった。もちろん僕はそんなことも知らずに観て感動し、その後に自殺のことを知ってまた驚きながらも、何か納得する部分があった。
 映画の語り口というか、エリザベス・シューの回想形式で語られると言うのもおもしろかった。そしてその心理描写も良かった。"ベンは確実に死んでいく、でもだからこそ彼を愛することができた。"というところはまさに絶妙だったと思う。期間が決まった愛、だからこそすべてを受け入れることができた、というのは真実だと思う。この"期間が決まった愛"と言うのは、"スウィート・ノベンバー 特別版 [DVD]"や"恋人までの距離(ディスタンス)"などでも取り上げられたテーマだ(僕は"スウィート・ノベンバー"はあんまり好きじゃないです、ラストがどうしても納得いかないんで。でも、"恋人までの距離(ディスタンス)"は大好きだぁー。あの雰囲気、あんなに感情移入した映画ってなかなか無かったなぁ、いつかこっちはレビュー書きます。てかこっちはDVD化されてないじゃん…)。
 サラは何も望まなかった、でもついにこらえきれずに"あの言葉"を1度だけ言ってしまう、そしてベンはそれで無情にも別れを告げてしまう。でも、ベンも忘れることができなかった。サラがついたときには、ベンは息をするのも苦しそうだったが、ベンは必死になってオナニーを始める、そしてサラは"私にさせて"と言ってベンに触る、そしてついにサラはベンと1つになれる。こんなに静かなSEXなのに、燃えるような、いや燃え尽きるようなSEXを僕は知らない。まさに風前の灯である。このときに僕は"壮絶"と言う言葉が浮かぶ。僕はこれ以上の愛を知らない…

※追記
 このエントリーを書いてから3年。あいも変わらず僕はこの映画を観続けている。何度も何度も観る度にこの映画の完成度に驚嘆する。暗喩であったり伏線であったり、この映画はどこまでモンスターなんだと思う。ベンはサラとはSEXはしたかったろう。でも彼らはしなかった。とあるモテルで、あの官能的なシーンで、彼らは絶頂に達しかけるが結局はできなかった。
 ベンはサラの家には住んでいるが、サラの最初の便宜的な言葉のせいか、彼らは一緒には寝ない。ベンはカウチであり、サラはベッドである。だからか彼らは結ばれない。でも "あの言葉"を言った後、ベンはふらふらになりながら、娼婦の言われるがままになりながら、サラの家に連れて帰る。そして、こともあろうかサラのベッドでされるがままの状態になってしまう。ベンはともかく、少なくともサラは結ばれることを説に願っていた。それを無碍にされ、さらに見せ付けられる。そのシーンのなんと悲しいことか…
 この映画は本当に無駄が無い。ベンの弱さ、サラの悲しみ。人の負の部分を見せつけ、でもそれを補い合うことの美しさと切なさ。弱さと美しさは比例するなんていう、新たな悲しい境地に達した気分にさせられたな。

*1:フランシス・F・コッポラの甥であることを知る人は意外に少ない