みなさん自分が好きですか?
みなさん。みなさんは自分で自分のことが好きですか?以前あるバーでみんなと話しているときにこんな話題が出ました。するとほとんどの人が"好き"と答えました。しかもその中の半分の人が"世界で一番好きなのは自分"と答えました。
これには驚きました。なぜなら僕は世界で一番自分が嫌いだからです。こう書くとすごい暗く感じますが、本心です。
ここからは、まぁかなり暗いのでほんとに読みたい人だけ読んでください。
みなさんは自分が悪い事したなと思ったことはありませんか?
みなさんは自分が人間としていやらしいと思うことを考えたことはありませんか?
みなさんは人に言えない、意地悪な考えを持っていませんか?
みなさんはふとしたとき、差別をしてしまったことはありませんか?
みなさんはふと心無いことを言ってしまったことはありませんか?
みなさんは自分が子供の頃に思い描いていた将来を今歩んでいますか?
みなさんは自分が考えられる最良の道を常に歩んでいますか?
みなさんは自分に厳しく、常に100%の力を出し切っていますか?
みなさんは妥協したことがありませんか?
みなさんは自分をおぞましいと感じたことがありませんか?
みなさんは自分のマイナス点を消そうと思ったことがあるでしょう?そして消せましたか?
僕は多くの欠点を持っています。そしてそれを自覚しています。しかしそれを直すことができません。また将来を考え、それに対してどうすればいいのかわかっているのにそれを実行しない。そんな自分が嫌いなんです。完全主義といわれるかもしれない、そんなことは不可能というかもしれない、欠点を好きになることが大切というかも知れない。
しかし、そんなことは解決にはならないし、そういわれても自分の苦しみから開放されなければ意味が無い。自分が苦しんでいるということが一番重要なんじゃないだろうか?
僕は多くのアイデンティティーから成り立っている。友達といるときの自分。家族といるときの自分。大学での自分。バイト先での自分。彼女といるときの自分。多くの自分がいる。
またアイデンティティーの定義によってはより詳しく分けれるかもしれない。運動しているときの自分。セックスしているときの自分。もしかしたら、Aとセックスしているときの自分。Bとセックスしているときの自分。Cとセックスしているときの自分。と同じ行為であっても違う自分がいるかもしれない。
では自分とは?
自分は自分を把握しているのだろうか?自分とはもしかしたらそういったすべてのアイデンティティーの最大公約数的なものの集まりと勘違いしているのではないだろうか?本当に自分というものがわかっているのだろうか?そもそも自分というものは存在するのだろうか?
もしかしたら自分というものは周りに対する言動から逆説的に浮き出すものなのだろうか?
違うとすれば、自分というものは"自分といるときの自分"というアイデンティティーなのだろうか?でもそんな二人称として自分を語ることができるのであろうか?自分と対峙しているときの自分は誰?
僕は自分を二人称的に扱えてしまうから、自分を嫌いになってしまうのだろうか?僕は良く思う。理性が本能を超えることができてしまうと、人は死んでしまうのだろうか?と。だから自分や世界を突き詰めて考えた太宰治や芥川龍之介や川端康成は精神を突き詰めて考えその結果自殺という結論を導いたんじゃないか?と。
それを自分自身が世界で一番好きという幼馴染に話した。すると彼女は"それはすごい悲しい結論だと思うよ"ととても悲しそうな目で僕を見つめて言った。悲しい結論だとは思う。でも真理は悲しいものか、うれしいものかはわからない。もしかしたらこれが真理なのかもしれない。
でも僕にはそんな結論に従うことはできない。僕は自分が一番嫌いな人間だから…