友人の死
今週末、僕は神戸に帰っていました。理由は、高校時代の友人の葬式のためです。友人の死の一報を聞いたのは水曜日。死因は、通っていた北海道にある大学のキャンパスの屋根から落ちてきた雪の下敷きになったことによる窒息死でした。
ニュースで知った友人から電話がかかってきて、その一報を聴いた瞬間は"信じられない"。その感覚は昨日亡骸を見るまで続いた。
こんな不慮の事故で亡くなるなんて無念だったろう。自殺なら思い残すことは無かったろう。病気ならある程度の覚悟もあったろう。でも事故は?
高校卒業以来5年ほどあっていない友人とも、こんな再会をするとは思いもしなかった。それぞれがいろんな思いを持って集まったんだろう。でも、その思いをご両親は知っているのだろうか。
子供時代の交友関係なら親は知っていただろうが、高校を過ぎたあたりからはそれをいちいち親に言ってはいないだろう。だんだんと親離れするということは、疎遠になると同意義かもしれない。
ずっと前から思っていたこと。「俺が突然死んだら、ちゃんとみんなは知るだろうか?」
答えは彼の死でわかった。知る由が無いものはやっぱり知るわけが無い。通夜に来ていなかった友人に電話するとやっぱり知らなかった。同じ高校のコミュニティーですら知らないやつがいた。そのコミュニティーにいないやつは余計に知れないわけだ。俺の場合、個人的に知り合っているやつなら、きっと何年たっても知らないだろう。わかっていたが、わかるとそれはそれでつらかった。
思い残すことは多々あったかも知れない。謹んでご冥福をお祈りいたします。
神々が愛する人たちは若くして死ぬ。 メナンドロス