「赤ひげ」1965年

 今日「赤ひげ」を観ました。3時間という長い時間にもかかわらず、決して長いとは思わせませんでした。黒澤映画は基本的に長時間なものが多く、なかなか観るまでに覚悟しなければならないのですが、いざ観てしまうと、あっという間に終わってしまうのです。それだけ黒澤は観客の心をつかみ、コントロールする術を知っているということでしょう。まぁ、僕にとっての黒澤論は、また特集でも組んでゆっくり論じたいと思います。(また長くなりそうだ)
 さて、この赤ひげですが、大まかな流れを説明しましょう。

 あらすじ
 主人公の加山雄三が長崎で医師としての勉強を終え帰ってくる、そしてある診療所(養生所)をたずねてみると、そこで働くことになってしまう。その診療所には赤ひげと呼ばれる先生(三船敏郎)がおり、その強引ゆえに最初は反発しあう。
 しかし赤ひげの、胃がん患者の死やその遺族に対する優しさ、そして、体だけでなく、心も直したいという姿勢から、だんだんと尊敬の念を抱いていく。そうしていくうちに、ある患者を任せられる。その患者は遊郭に身売りされた、まだ12歳の少女である。その少女は高熱を出しており、赤ひげは強引に診療所に連れ帰る。最初は心を閉ざした少女であるが…

 というのがあらすじである。

 <ここからネタバレ!!>
 さて、その少女であるが、長い間虐待を受けていたために自分の感情を表に出すことができない。そして、やさしく介護する主人公や赤ひげに対しても天邪鬼*1な態度を取る。その根底には"優しい人間なんていない、やさしくするのには何か魂胆がある"という思いがあるのだ。
 そして、主人公が少女に対して、ご飯を食べさせようとしたとき、少女は手ではたいて、ご飯を撒き散らし、茶碗を割ってしまう。そのとき主人公は怒らなかった。なぜならそんな風に育てられてしまった少女がかわいそうだったからだ。その思いが届いたのか、少女は少しづつ心を開いていく。ここら辺の少女の心の移り変わり具合が絶妙ですね。
 少女の心は憎悪に満ちていた、それがだんだんと愛情に変っていきます。しかし、まだ思いをストレートに出すことはできません。そのため女中には誤解されたままとなる。しかしここで新たな人物が登場します。それが、ご飯泥棒のチョロです。もう主人公は加山雄三ではなく、この少女とチョロに変ってきます。
 少女はこのチョロの面倒を見ようとします。ここからこの少女の成長が著しくなり、周りの見る目が変ってきます。もう、この2人、演技がやばいです。特にチョロ、あんたは何歳なんだ!?ハーレイ・ジョエル・オスメント*2なんてクソみたいな演技です(いや、好きなんですけどね。)。この2人の演技がだめならこの映画が成り立たないぐらいのもんです。
 そして、最後クライマックス。チョロがつかまってしまい、家族がそれに嘆き一家心中を図り、毒を飲んでしまいます。そして、少女は嘆き悲しみます。女中たちは死に掛けた人間の魂を呼び戻すためのお呪い*3として、井戸に向かって叫びます。それを知った少女も井戸に向かって叫びます。この時初めて、少女は感情をあらわにし、むき出しになります。そして、その悲痛な叫び、そして女中たちと一緒になり、井戸に向かう姿勢とその奥で見つめる赤ひげたちの構図。この構図がすばらしかったです。そして、チョロだけが何とか命を取り留める。
 こうして、少女と主人公の加山雄三は人間として成長していくという映画でした。いやー、黒澤映画はすばらしい。リアルであり本質であるんですね。もう僕たちの感情を完全にコントロールしてしまいますね。

*1:あまのじゃく

*2:ハーレイ・ジョエル・オスメント:ハリウッドの名子役、キーワードも参照してください

*3:おまじないね!僕も変換してビックリした