反日感情に見る人間の"本質"

 さて、昨日ジーコジャパンアジアカップを制しましたね。おめでたいことです。しかし、同時に大きな問題もあらわになってしまいました。それが"反日感情"ですね。中国人たちのこのマナー違反とも言えるブーイング行為。マナー違反も問題ながら、そもそもなんでこんなに反日感情があるのか?60年以上たった今もこんなに反日感情があるのはなぜなんでしょうか?
 TVを見てみると、反日感情を持ってブーイングをしている人たちは、ほとんどが20代、30台の若者ではないでしょうか?彼らがなんで反日感情をもっているのでしょうか?おじいちゃんが殺されたから?でも、あの若者が生まれる前の話ですよ?実感も無いだろうに、それであんなにブーイングしますかね?
 僕はこれを考えたときに人間の弱い部分を見ました。それは、"人間の尊厳を保つもっとも卑怯なやり方"ということです。彼らは誰かに怒りを向けたかった。誰か怒りの、自分よりも無能と思える存在が必要だったんですね。
 今の中国は社会主義というイデオロギーが崩壊し、そのため、都市部と農村部における収入格差が生じ、中国の中国たるものがなくなってしまっています。そのため国民の不満が政府に対してたまっている状態です。そこで中国政府が行なったのが"日本叩き"だったんですね。つまり中国政府は自分に向かっている感情を日本に転嫁したわけですね。
 これは非常に狡猾なやり方でした。人々の怒りを殺す、特に自分の現状に怒っている人間を落ち着かせるのにもっとも有効な手段は"自分よりも下の存在を作る"ということだったんですね。これは非常に効果がありました。それによって、中国人たちは日本に対して、"偽者の"怒りを向けることによって、一致団結をしたんですね。
 この方法は非常に卑劣ながら、非常に効果があります。この方法は第2次世界大戦中のドイツにおける、ドイツ国内の不況の怒りをそらすユダヤ狩り、あるいはその後のユダヤ人によるナチ狩り。また日本においても、江戸時代において、士農工商といわれながらも、実質的にもっとも下の位であった農民の怒りによって産まれた"部落差別"、そして戦争時の"中国人の虐殺"…これらは全く同じものではないでしょうか?
 戦時中における日本人による中国人への虐殺と同じ感情を、今度は中国人が持っている。なんとも皮肉ではありませんか?
 またこの感情で特に皮肉と思うことは、"優等生"であり"素直"なものほどかかりやすい、ということです。教育を一生懸命に、そして盲目的に受けるものほど、そのまま受け入れてしまう。かつてのナチスも、教育段階においてもっとも優等生なものほど上官になっていった。そして、優秀なものほど虐殺を繰り返した。なんとも皮肉ですね。
 このことを考えているときにある映画を思い出しました。それは「es」という映画です。今度はこの映画のレビューを書きますね。

esレビュー